それから四日程後。フィナは、歩く事に支障がない程度に回復した。 けれどカタリナやグレンから、訓練は見学するようにと硬く申し付けられて、フィナは真昼間からぼーっとしていた。 スノウからも、仕事は休むようにと言われてしまったので、本当にする事がない。
キィンと、金属音の鳴り響く訓練場。 隅っこに座って、フィナは剣の手入れをしていた。
ずっと先の方では、タルが先輩騎士相手に訓練を受けている所。
意識せずそちらに目がいってしまうのに気付いて、フィナは一人顔を真っ赤にさせた。
「フィナ、調子はどうだ?」 「あ…」
スッと目の前に来られるまで全然気づかなかったフィナは驚きながらケネスを見上げて、コクコクと頷いた。
「大丈夫。心配かけて…ごめん、なさい」 「気にすることはないさ。フィナが持って帰った花、本当に珍しいものだったらしいしな」
おかげであの集団訓練は、フィナたちのグループが一番評価が高かった。 フィナは、大して自分が役にたてたとも思えなくてあいまいに頷いた。 ギン、と遠くで音がする。
「…ケネス」 「ん?」 「タルは、タルはあのあと、なんともなかった?」 「…? どうしたんだ?」
何故、そんなことを聞く? とでも言いたげなケネスの声に、フィナは視線を遠いタルに向ける。
「だって……」
ボートをこいで。 フィナを探すために歩き回って。 戦闘になって役に立てなくて。 何度も、かついでもらった。
目を閉じて、自分のふがいなさにフィナはキュッと柄を握る手に力を込める。
「…」 「…フィナ、大丈夫だよ。タルはとにかく、体力がすごいからな」 ケネスはあやすように、フィナの頭をなでながらそう言った。 フィナは一度目をあげたが、すぐにうつむいてしまった。 「ごめんなさい」 「…」
ケネスは、どうすればこの、他人にばかり気を配るフィナに間違いなく言葉を届けることができるのだろう、と悲しく思った。
「よし、そこまで!!一旦休憩!」
先輩騎士の一声で、ピィンと張り詰めた空気が一気に緩む。 訓練生のお喋りが、ガヤガヤと騒がしい。
ケネスは大きく手を振って、タルやポーラ達を呼んだ。
「おーい、ここだ!!」 「あ、いたいた!ポーラ早くッ」 「ええ。」
ジュエルが身軽に走り寄って来て、フィナの隣にストンと座った。 ポーラも走りはしないが、心持ち急いで歩いてきたようだ。 ほっと息をついて、ジュエルの隣に座る。
「フィナ、足は大丈夫?痛くないの?」
心配そうなジュエルに、フィナは笑って、大丈夫と言ってみせた。
「ん?・・タルの奴、遅いな。何してるんだ?」
中々こっちに来ないタルが気になったのか、ケネスがタルのいた方向を見やる。 訓練生は皆、日陰のある端まで移動しているから、真ん中はガランとしていた。
キョロキョロとタルを探してみたが・・・
「あれ?どこ行っちゃったのかな、タル。」 「おかしいですね・・・さっきまで、そこにいたのに。」
「・・・・・・・・。」
「…探して、くる」 「え、おいフィナ!」
スクッと立ち上がったかと思うと、走って訓練所を出て行ってしまったフィナ。 止めようと伸ばしたケネスの手は、フィナに届きはしなかった。
「…足、大丈夫なんでしょうか…」 「…さあ」 呆然としているケネスと、パタンと閉まった扉を見比べながら、ポーラとジュエルもやはり、あっけにとられていた。
「、タル…」
キョロキョロと周囲を見るが、タルの姿はない。 さっきまで訓練所にいたのだから、街に出ているなんてことはないだろう。 少なくとも、この近くにいるはず。 フィナはタルが行きそうなところを考えて、そしてダッと走り出した。 厨房かもしれない。
「なあ、いいだろフンギ」 「う〜んまあ作るのはいいけどねぇ。材料費はどうするんだい?」 「んなもん、俺たちが出すって!」 「まあ、それならいいけれど。で、フィナの足はどうなんだ?」 「ん、まあだいぶいいみたいだぜ? 歩くくらいならできるみてぇだし。ちょっと痛そうだけどな」
「…」 やっぱり、ここにいた。 中から聞こえてくるタルの声に、フィナはホッとして扉を開こうとした。
「でもまあ…やっかいだよな、フィナ」
「…」 けれども。 聞こえてきた声に、フィナの手は止まった。 やっかい…。 それはタルの声で。 どこかため息をつくような響きで。 それは。 それはきっと。
「……」 心が否定して頭が納得しかけて息がうまくできなくて。 フィナは、逃げるようにそこから駆け出した。
「何が?」
スープの味を見ながら、フンギが問う。 何かないかと聞いたらこれでも食べるかい、と出されたリンゴを食べ終えて、タルは答える。
「ほら、捻挫ってクセになるだろ?」 「ああ」 「フィナは痛くてもちょっとのことだと言わないからなー」 「そこは、君達が気づいてあげないと」 「まあなぁ…ケネスがいるから平気だとは思うけど」
フィナはあまり痛いとか辛いとか言わない。 それが、良くないことだとはわかっているけれど。 気づいてやれることも少なくて、タルはいつも後から気づく。 誰よりも、なんとかしてやりたいと思っては、いるのだけれど…。
やっかい。 タルの口から、タルの言葉で言われたその言葉は何よりも重かった。
厄介者。 それは、望まれていないという事。 役に立たないという事。
「やっかい・・・」
自分の声にして出してみて、背筋が粟立つのがわかった。 ぞくぞくと来るのは震えだろうか。 今までにも、言われた事がないといったら嘘になる。 何度も何度も言われた言葉だ。
けれど・・・
「・・・・・う・・・ぅ・・」
視界が熱い何かでじわりと滲んだ。 何度泣けば気がすむんだ。
自分の不甲斐なさに泣いて、彼の優しさに泣いて、甘えて。 そして、突き放された途端にまた零れるこの涙が疎ましい。
甘えすぎた。 そうだ、甘えすぎたんだ。
「ごめんなさいっ・・・」
誰に向けたものともわからない謝罪は、溶けるように陽光に消えた。
そろそろ戻ったほうがいいか、と立ち上がって、タルは出る際、スープの味をみていたフンギにもう一度言った。 「んじゃあ、頼んだぜ、フンギ」 「ああ、解ったよ」
頷きながら、うん、できた。という声が扉を閉める間際に聞こえた。
「あれ、タル」 「よーフィナの快気祝いの料理、フンギに頼んできたぜ!」 「…」 「ん? なんだよポーラ」 「フィナは? 一緒じゃないんですか?」 「フィナ? フィナならそこで座って…ねぇな」
フィナがさっきまで座っていたところには、スノウが座っていた。 ぐったりしているところを見るに、この暑さにやられたのだろう。
「どこ行ったんだー?」
まだ足も完治したわけじゃねぇのに。 ブツブツ言うタルに、ケネスは眉根を寄せて言う。
「お前を探しに行ったんだぞ。会わなかったのか?」 「いや…俺はフンギんとこいたから…」 見つけられなかった? 否。フィナに限ってそれはない。 では、何故?
「……」 う〜ん? と首を傾げるタルだが、ちょうどそこに集合の声がかかった。 「…どうする?」 「フィナは…見学だけど…いないの、まずくないか?」 「それに…放っておけませんよ」 「…だな」 「僕が先輩に言っておこう」 「んじゃ、俺探してくるわ」 「ああ、頼んだぞ」 「おう!」
「ったく・・・どこ行ったんだよ・・」
訓練場を出てすぐの中庭を抜けて、タルはもう一度フンギの所へ戻った。
「あれ?どうしたんだい。」 「フィナ、来なかったか?」 「あれ、いないの?ここには来てないけど。」 「そっか。サンキュ!」
タルはバタンと戸を閉めると、すぐ隣のフィナの部屋の戸をコンコンと叩いた。
「いないのかー?」
返事は返ってこない。 ここにもいないとなると・・・何処だろう。 真面目な彼の事、まさか町などに行ったりはしまい。
「・・・・・・・・。」
でも何か、虫の予感と言うのだろうか。 タルは館の大門に足を進めた。
「フィナ?ああ、あの無口な奴な。 さっき、用があるとかで出てったぞ?」 「・・・・・マジ、ですか?」 「ああ。」
驚いた。 本当に町に出ていたなんて。 用事?
本当にそうなのか?
タルは一言門番に礼を言うと、門の間をすり抜けて町に出た。 咎める声は、聞こえないフリをした。
フィナは、騎士団本部からは死角になる小道を歩いていた。 以前、偶然見つけたこの道。 どこへ続いているのか知らないけれど、きっとここではないどこかへ行ける気がして。 見つけたときには、行ってみたい気はあまりしなかった。 覗いてみたいな、くらいだった。
「……」
しかしフィナは今。 その道を、歩いている。 戻らなくちゃ、と頭ではわかってる。 きっと迷惑をかけている、もしかしたら心配してるかもしれない。 冷静な自分も、いた。押しとどめようとする声も聞こえた。 けれどもどうしても。 どうしても、それに従うことはできなかった。
たとえば今心配をかけて迷惑をかけて。 明日になっても戻らなければどうするだろう? 明日くらいならまだ、探してくれるかも知れない。 でも明後日には? 気にはしながらも、訓練をないがしろにはできなくてきっと探すことはない。 それじゃあ、しあさってには? その次の日は?
ずっと、なんてものは存在しない。 永遠なんてありえない。 いつか。 いつかきっと忘れるだろう。 こんなちっぽけな自分のことなど。 今はまだ覚えていてくれても、きっときっといつかは忘れるんだ。
そうすればもう、迷惑なんてかけない。 心配させるようなこともない。 やっかいだなんて、思わせたり、しなくていい。
「…、」 コホ、と一度、フィナは小さく咳き込んだ。 息苦しい気がした。
建物の裏側。 滅多に人が来ないものだから、草木は荒れ放題だ。 建物の側面にはヒビが入り、茶色く薄汚れている。
小高い丘の頂上にあたるのだろう。 フィナの足元からはなだらかな下り坂が一面に続いていた。 自分はどうやら、壁伝いに道を歩いてきたらしい。
ずっと先に、海が見える。 寄せては返し、返しては寄せ、そのうねる様が耳に、目に届く。
ザァン。
一際高い、波の音。 息苦しかった呼吸が、一気に詰まった。
「・・・・・・・!!!!」
いけない。 こんな所で、起こってしまうなんて・・!
「・・・・・ケホッ・・は、ぁ・・」
必死になって呼吸を繰り返すけど、ちっとも体の中に入ってくれない。 苦しくて、苦しくて、涙が出てくる。
どうしよう。 どうしよう。
頭の中が混乱して、グチャグチャになって、深呼吸さえままならないのだ。 フィナはついに、その場にくず折れるように倒れこんだ。
「は・・は、ぁ・・はっ・・・」
息ばかりが荒くなる。 心臓がドキドキとうるさい。
誰も、いない。 ここには誰もいない。
フィナは、汚れた地面で、体を丸く縮こめた。
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