「じゃあ、少し休憩したら下山し始めようか。」
スノウの一言で、皆はひとまず緊張でくたくたになっていた体を草原に投げ出した。
「はーー。ほんとにもう良かったよー。」 「ええ・・・ほんとに。」 「フィナー、これからは気ィつけろよ?」 「・・・・・・うん。」
フィナは申し訳なさそうに、少し笑っただけだった。 手の中にあったフィナリアの花。 フィナはそれを紙に包んで、そっと荷物の中へ入れた。
「・・・・・・・。」
捻挫とか、腹痛とか。 傷じゃなくて中で起こる体の変化というものは、後になるほど酷くなるものだ。 フィナはそっと足首を動かしてみた。
つきん、と小さく走る痛み。 大丈夫。歩けない程じゃない。
ケネスの視線が痛いけど、フィナは自分で歩く事を決めた。
「よし、荷物も纏めたし・・・そろそろ行こう!」
今からいけば、夕方までは麓につくだろう。 騎士団見習い一行は、草を踏み鳴らして歩き始めた。
フィナはグイッと額の汗をぬぐった。
「フィナ、大丈夫か?」 登りのときより、消耗の激しいフィナにタルが心配そうに問う。 「ん、へいき」 汗だくになりながらも、フィナはかろうじて笑った。つもりだった。 「そっかー? ダメそうだったら言えよー」 「ありがと、タル」
心遣いが嬉しくて、なんだか泣きたくなってフィナは足を速めた。
ケネスは後ろからフィナを見守りながら、そのふらふらした足取りにどうしたものかと考えていた。 言ってしまうべきか。それとも、無理をさせてもフィナの好きなようにさせるべきか。 考えてはそれを打ち消し、別のことを考えてはまたそれを打ち消す。
どのくらい歩いただろう。 登りに比べ、足を踏ん張って進まなければならない斜面が多いのがいけなかった。
「……」
フィナはもう、ほとんど思考が回っていない。
「フィナ?」
ああ誰か。 呼んでる。
「へ、き」 なんとかそれだけ応える。それはほとんど、反射だった。
「休むか?」 「ううん」
大丈夫だから。 フィナは、自分が何を言っているのか判っていなかった。 ただ1つ。
この人を困らせたりはしたくない。
それだけが、頭にあって。
それだけが。 それだけ、が。
頭の中が掻き混ぜられてるみたいだ。 視界の隅にチカチカ星が光って・・・ 世界が、まわる。
ドサッ。
何か、重いものが落ちるような音がしてタルは振り返った。 振り返って。 ・・・そこにいる筈の、フィナがいない事に目を見開いた。
「・・・だから無理をするなって・・!」
後ろにいたケネスが、後悔に顔を歪ませてフィナの側にしゃがみ込む。 タルもすぐに側に寄ってきて、倒れこんだフィナを覗き込んだ。
呼吸が短い。 酷い汗と、熱だ。
「フィナ、フィナ?おいっ、返事しろっ」
ぺしぺしと頬を叩くが、まったく反応が返って来ない。 スノウ達も慌てたようにフィナに呼びかけ始める。
ケネスはじっと黙っていたが、やがて緩慢な動作でフィナの左足の靴を脱がせはじめた。
「ケネス?」 「・・・フィナ、怪我をしていたんだ。崖に落ちたときに。」 「・・・・知ってたのかよ。」 「ああ。」 「・・・何で黙ってた!!!」
「それは・・・・」
タルはケネスに詰め寄り、今にも胸倉を掴み上げかねない勢いで口を開く。 けれど、ケネスが理由を言おうとした時。 小さな小さな囁くような声で、フィナが「まって」と言った。
「たの、ん、だの、ぼく」 切れ切れに、フィナはそう言った。 「…」 ケネスは後悔ばかりをしていた。何故止めなかった。判っていたはずだたとえフィナが望んでも、こんな、こと…!
「ポーラ、包帯を。ジュエル、水筒にまだ水あるな」 「は、はい」 「うん、あるよ」 「スノウ、おくすりくれ」 「ああ、ここにあるよ」 「…」
タルは、常にないほど冷静に、指示をした。
「ケネス、押さえてろ」 「あ、ああ」
フィナの、細い足首を押さえる。 「ぃっ」 どう優しくしても、痛みが走って。フィナは、ギュッと手を握り締めた。 「…」 タルは、目を細めてその捻挫の具合を見て、それから包帯を巻き始めた。 「…」
気を。 失えればよかった。 フィナは、こんなにも怒っているタルを初めて見た。 涙が出た。 どうして涙が出るのか、判らなかった。
「フィナ・・・・」
ジュエルが心配そうにフィナの名を呼ぶ。 痛いんじゃない。 痛いんじゃないんだ。
結局こうやって、彼を心配させて、迷惑をかけて、それが。 それがこんなに辛いなんて。
「フィナ?・・・おい、落ち着け。別にもう、怒ってない」
タルは包帯を巻きながら、出来るだけ優しい声でそう言った。 半分は、嘘だった。 まだ怒りが収まったわけじゃない。
それでもタルが出来るだけ優しく接しようと努めたのは、フィナがあんまりにも酷く泣くからだ。 フィナが泣く所は、タルだってめったに見ない。 見たとしても、フィナはきっと声を押し殺して泣く。
けれど、どうだろう。 今のフィナは子供みたいに、しゃっくりあげながら泣いている。 両手で必死に目を押さえて、それでも止まらない涙。
「ひくっ・・・ぅっ・・・」
「フィナ、そんなに痛いのかい・・?」 「・・・大丈夫ですか・・?」
スノウとポーラの言葉に、ゆるゆると首を振るけれど。 涙はちっとも止まらない。
後から後から込み上げて来て、底が尽きないみたいだ。 ケネスも心配そうにフィナを見ているが、そんな視線にすら反応を返せないくらい、フィナは混乱していた。 こんな事は初めてだ。
・・・堪えられない、涙なんて。
タルはどうすればいいのか判らなかった。 普段、それこそ微笑みくらいしか表情の変化がないフィナ。 それが、こんなにも泣いている。 それは胸につまるような泣き方で、見る者にさえ痛みを与える。
「っ、ふ、…ぅくっ」
どうすれば涙が止まるのだろう。 困らせたくない迷惑かけたくないこんなのダメだ僕はこんなこと、しちゃだめなのに。 ギュッと両手を目に押し付ける。 止まれ。早く、止まって…!
「…ケネス、あとどのくらいだ?」 「あと…そうだな、一時間といったところだ」 「…行こう」 「で、でもフィナが」 「俺が支える」 「しかし…」 「ここでこうしてても、辛いだけだろ?」
タルは苦笑した。それは、どこかやるせなさを含んでいた。
「フィナ…」 「っ、ふっ」
タルは、そっとフィナの背中に腕を回す。 ケネスがタルの荷物を持ち、スノウがフィナの荷物を持って歩き始めた。 最後尾にフィナとタルをおいて。
「・・・フィナ?」 「っ、っ、ぅあっ、あっ・・ごめ、なさっ・・」 「・・・・お前がそんなに泣き虫なんてな。」
呆れているわけでも、怒ってるわけじゃない。 タルの口調はとても穏やかで、優しかった。
背中に回した腕で、とりあえずフィナの体を起こす。 フラフラと頼りなかったけれど、それでもなんとかフィナは堪えた。
タルは困ったような、そんな情けなさそうな顔をして、くるりとフィナに背中を向けてしゃがんだ。
「・・・ほら、おぶされ。見ねぇから。」 「・・・タ、ル?」 「ほら、はやくしろよ。」
肩越しに振り向いて、さっさとしろとフィナを見る。 フィナは少し戸惑っていたけれど、観念したようにタルの背中にしがみついた。
タルの背中は、広くて、大きくて、少し汗のにおいがした。
「そこで泣いてろよ。そこなら誰も見ないだろ?」 「・・・・・・・」 「さ、行こう」
出来るだけ足に負担をかけない様に、歩く。 タルの背中はとても温かい。 時々頬に当たる黒髪がくすぐったいけれど。
収まりかけていた嗚咽がまた込み上げて来て、フィナはタルの背中で声をあげて泣いた。
「…」
どのくらい、フィナの泣き声が響いていただろう。 背中に染み入るものがフィナの痛みそのもので、タルはグッとノドの奥に力を入れた。
「そろそろ麓だ」
ケネスがそう言って振り返り、タルが頷いた。 麓につき、ケネスは心配そうにタルの背中のフィナを覗き込んだ。 フィナはいつの間にか、眠っていた。泣きつかれたのだろう。 タルの服をギュッとつかんだままの寝顔は幼くて、年相応で。
「…」
思わず、苦笑がこぼれた。フィナはきっと、こんな顔の方が似合う。
帰りももちろん、人数が制限された小船で帰らなくてはならないので、フィナを抱えたままのタルとポーラがまず乗り込んだ。 驚いたことに、フィナはその間まったく目覚めなかった。
「はー、帰ってきたねー!」 ジュエルがう〜ん、と伸びをしてそう言った。 帰ってきた。 誰もが、ホッと息をついた。
「・・・本当だったらすぐにでも休みたいだろうけど・・まずは報告にいかないとな。」 「フィナの怪我も診て貰わなくちゃ。」 「・・・・お風呂、入りたい・・・」 「僕も・・」
石畳の感触が妙に懐かしい。 心身共にボロボロの五人は、とりあえず報告にと騎士団の訓練場へ向かった。 すると途中・・
「ああ!あなた達、無事だったのね!」
騎士団の副団長、カタリナが駆け寄ってきた。 五人は少し、びっくりした。
「フィナ・・・フィナはどうかしたの?怪我でも・・・?」 「あ、はい・・崖から落っこちて足捻挫して・・」 「わかったわ。皆、報告は私からしておきます。今日はもうお休みなさい。」 「え、でも・・・」
「・・・あの地図はね、本当は見習いの騎士用のものじゃないのよ・・・ 島の形が似ていたから・・・つい間違えてしまったらしくて・・。」
「「ええ!!!??」」
スノウとジュエルの声が、見事にダブった。 カタリナは申し訳なさそうに謝っている。
「タル、フィナを治療室に・・・後の皆は、解散です。」
カタリナはそれだけ言うと、団長の部屋へ報告に向かった。
治療室で、騎士団の主治医が驚いてタルを迎えた。
「フィナ坊はどうしたい」 「足、捻挫したみたいで熱が」
タルは言いながら、そっとフィナをベッドに下ろす。
「そらまたえらい怪我したもんだの。どれ」 主治医は、フィナの左足首にそっと触れ、患部の具合をみる。 「ふぅむ」 「じぃさん、どうだ?」 「誰がじぃさんじゃ。わしゃまだ若いわい」 「いいから、フィナ、大丈夫なのかよ?」 「心配いらぬ。と言いたいところじゃがな。こら2,3日熱がひかぬじゃろうて」 「…」
そ、か。 タルは、こすったせいで少し赤くなっているフィナの目元に触れた。 温かいというには熱すぎる。 きっとどんなにか、苦しいだろう…。
「何、安静にしておればじきに治るものよ。そう気病むな」 「…だな、んじゃ、後頼むぜじぃさん」
ニッと笑って、タルは治療室を後にした。
「誰がじぃさんじゃ。全く…怒りも隠せぬ若造が」 残された主治医は、ふう、と息をついた。
タルは、怒っていた。 どのことに対しての怒りなのかも判らぬほどに。 ただ、その怒りを向けられる人物が、あの地図を渡した先輩しかいなくて。 だけれどそれもまた、知っていてしたことではないならばお門違いでありタルもそれが解っている。 解っているから。 誰に、何に向かって怒れば良いのだろう。 フィナを傷つけるものがいるならば何であろうと叩き潰すくらいにはフィナを大切に思っているというのに。 フィナのために、誰に怒ればいいのだろう。
タルは、強く握り締めた手から赤い雫がこぼれていることに気づかなかった。
その夜は、中々寝付けなかった。 足がズキズキ痛むのもあるし・・・何より、タルの顔が忘れられない。
怒らせてしまったんだ。 少しの間だったけど、タルは本気で怒ってた。 はぁ、と吐いた息が火照っている。
ああ、強くなりたい。 皆に迷惑をかけない、心配をかけない、そんな強さが。
「・・・・・」
今日は大事をとって、治療室で眠る事になった。 鼻につんとくる消毒液のにおいは、フィナを落ち着かなくさせた。
落ち着かない。 眠れない。
頭の中で考えている事がぐちゃぐちゃに絡まって、気持ち悪い。
寝ないといけないのに。 疲れてるんだから。
ぎゅっと目を瞑っていたら
コンコン。
扉を叩く音がした。
言葉が出なくてノックに対する返事ができずにいると、扉はとても静かに、極力音をたてないように気遣って開かれた。
「……」
フィナはとっさに目をつむり、眠ったふりをした。 もしタルだったら…どんな顔をすればいいのか解らない。 下手をすれば、また泣いてしまいそうで。
「…」 コツ、コツ、と。気をつけていてもどうしても響く足音をそれでも殺そうとしながら、彼はベッドへ近寄った。 「……」 薄く開いた口から、しんどそうな息がもれている。 そっと手を伸ばして、その頬に触れようとして。 「……」 思いなおして、手をおろした。
重い沈黙が部屋を染めた。 やがて、彼は掛け布団の乱れを直すとベッドから離れた。
「…」
コツコツと、遠のいていく足音。 フィナは、置いていかれる恐怖にかられた。
「…ゃ…っ」 「っ?」 かすれた声は、静かな治療室に響いた。
「フィナ・・・?」
聞こえた声は、やっぱりタルだった。 いつだってそうだ。 タルはどんな時だって、自分の事を心配してくれてる。
目の奥が熱くなるのをぐっと堪えた。
「タル・・・タル、ごめんなさい・・」 「・・・・・・謝る事なんかないだろ?」 「だって・・・・」
小さな掠れる声で、フィナは謝った。
・・・何に対して?
「・・・なあ、フィナ。」 「・・・・・?」 「お前は、ドジだし、おっちょこちょいだし。すぐこけるし。」 「・・・・・タルっ///」 「怒るなよ。だから、誰かが助けてやらないと駄目なんだよな。 気にする事ないんだぞ?フィナは、ちゃんと強いんだからな。」 「・・・・・・・・・・」
今度こそ目頭が熱くなった。
何で・・・・なんで彼は。
こうも自分の心をよんでしまうんだろうか。
タルは、今度こそフィナの頬に手を伸ばした。 「フィナ」
困ったような声に、フィナは揺れる視界にタルを映す。
「…っ、…」 「…」
タルは、どうしたらいいのかわからなくて困った。 泣かせたいわけじゃ、ないのに。
「…ごめんな」 「…? 、タ、ル」 「ん?」
フィナが何かに気づいたように、驚いたような悲しそうな顔で、タルの手をとった。
「フィナ?」 「……」
涙を流しながら、時折しゃくりあげながら、フィナはタルの手のひらを見る。 はっきりと見えなくとも解る赤。
「…」 「あー…」
タルは、忘れていた、とポリポリと頬をかいた。
「…ごめ、なさい…」 フィナはくしゃりと顔をゆがませて、それから遠慮がちにその赤に口付けた。 「…」 子猫のように傷口をくすぐるフィナに、タルはどうしたものかとため息をつきたくなった。 熱のせいで、きっと思考がうまく働いていないのだろう。
「フィナ、いーから。な?」 「・・・・うん。」
タルの声にパッと顔を上げると、彼の顔はちょっと赤かった。 フィナも、赤かった。
「・・・とにかく、早く治せよ? 治ったら・・そうだな。フンギに全快祝いの飯でも作ってもらおうぜ!」 「それ・・・タルが食べたいだけでしょ?」
フィナが涙目のままくすりと笑う。
良かった。 やっと笑ってくれた。 タルは心の中で、ほっと息をついた。
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