「・・・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」
沈黙が、暗く冷たい廊下を包む。 目を逸らす事も、真っ直ぐ目を見つめる事も出来なくて、フィナはうろうろと視線を彷徨わせた。 タルも、同じだった。
眠っていないんだろうか? フィナの目は真っ赤で、いつもの綺麗な海の色がくすんでいた。
ここで、ちゃんと話さなきゃいけない。 彼が嫌がったって、今まで以上に自分の事を嫌悪したって。 理由もわからずいるよりは、ずっとずっといい。
「フィナ。」 「・・・・・・・・っ」 「・・・俺、何か、したか?」 「・・・・・・・・・」
タルの声が、廊下に響く。 フィナは、耳を押さえたい衝動と必死に戦っていた。
何も言わないで。 わかってる。 彼が自分を、本当はどう思ってるかなんて!
慰めなんていらない。 情なんてかけないで。
「フィナ・・答えてくれよ・・っ」 「・・・・・・!!!」
タルの声が、一際廊下に大きく響く。 その声に気付いたのか、ガチャリとドアの開く音。
食堂のドアだった。
「なんだ、やっぱりタルじゃないか」 「タル…早いですね」
出てきたのは、フンギと手に果物を持ったポーラだった。
「どうしたんだい、こんな早く」 「あ…腹、減ってさ」 「うーんでも今は、ポーラが持っているのくらいしかないんだよねぇ」 「これはフィナのですよ」
ちらりと自分の腕の中の果物を見たタルに、ポーラは守るようにそれをタルの目から見えないようにした。
「……ぁ」 フィナが、ちょっと言葉を言いかけて、タルの視線を感じてやっぱり何も言えなかった。 「フィナ、果物なら食べやすいですよね?」 「ぁ…」 ポーラがそう言ってすぐ隣に座って、はい、とリンゴを1つフィナに差し出す。 フィナは、困ったような顔になった。受け取ることも、断ることも、彼に譲ることもできない。
「そういえば、フィナ。足はもういいのかい?」 フンギがまるで思い出したように言って、フィナは慌ててコクリと頷いた。 「嘘つくんじゃねぇよ。まだ痛むくせに。無理するな」 「っ」
咎めるような声が降ってきて、フィナはビクリと肩を震わせた。
「フィナ、無理はしないでください」 「……」
ポーラの心配そうな声に、フィナは俯いた。 やっぱり、心配をかけることしかできない…。
「…ポーラ、1つくれ」 「ダメです」 「ケチ。いいじゃねぇか〜〜」 「これはフィナのです」 「…わーったよ。ちぇっ」
どんだけ言っても折れそうにはないポーラにため息をついて、タルはくるりときびすを返した。
「タル、ご飯ならあと2時間くらい後だから」 それまで辛抱してくれよ、と言うフンギの声に、タルは、んー、とあいまいな返事を返した。
「……」 フィナは、結局真っ直ぐ彼を見ることも話をすることはあまつ、声をかけることも…できなかった。
タルが見えなくなって、フンギはやれやれと息をついた。
「タルの言うとおりなら、快気祝いはまだ先になりそうだね?」 「…ぇ?」
フンギの言葉に、フィナは白い顔を上げた。
「この前タルが言ってきたよ。ねんざが治ったら快気祝いするから、料理頼むって…」 あれ、もしかして内緒だったのかな。 言ってしまってから思って、フンギはあー、と口を押さえた。
「…」
そんなこと、知らない…だって、だってフンギと話してたのは…。
「タル、やっかい、て…」 「ああ、ねんざがね。ほら、クセになる人もいるだろう? だから、もしもフィナもクセになったらやっかいだな、て話してたんだ」
あれ、知ってるの? と問うフンギの声は、もうフィナの耳には届いていなかった。
「フィナ…?」 心配そうなポーラの声も、海の中から聞こえてくるようだった。
「あ、フィナ!!!」 「ああっ、走っちゃ駄目だって!」
二人の慌てた声も、今のフィナには聞こえない。 頭が、真っ白だ。
自分は馬鹿だ。 勘違いして、 子供みたいに泣いて、 ケネスに、ポーラに、心配かけて。
タルを傷つけた。
理不尽な自分の態度に、彼は怒りを覚えなかったんだろうか? ただ悲しそうな顔をするばかりで、怒る事は、しなかった。
足の痛みも忘れて、走った。 タルの後を追って。
なんて言おう? なんて言えばいい?
「タル!!!!!!」
ああきっと僕は、また泣いてしまうんだろう。
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声が聞こえた。 聞こえるはずのない、声。
驚いて振り向いたら、軽い衝撃。
「タル、タル・・・ッ、ごめん、ごめんなさい・・!」 「フィ・・・・フィ、ナ・・?」 「ごめ・・・っぅ、うっ・・・ふぇ・・」 「ちょ、落ち着けよ、フィナ。大丈夫だから。」
抱きついて来たのは、フィナだった。 いつもみたいに、ギュッと自分の服を握って。
でも、泣き方はいつもと全然違ってて。 タルはどうしようもなく、フィナを愛しく思った。
しゃくりあげるフィナの肩にそっと手をおいて、ビクリと震え上がらないのを確認してホッとする。 「フィナ…」 髪に手を入れて、もう触れられないと思っていた感触に胸がつまる。 「フィナ…!」 思わずギュッと抱きしめると、とても強い力で返される。
「タル…タル…!」 「フィナ…」
何を言えばいいかじゃない。 ただ触れて、伝えればよかったんだ。 好き。大好き。本当に、好き。
「フィナ、フィナ…」 「タル、ぅ、」
涙まじりのフィナの声が何度も何度も自分の名前を呼ぶのが嬉しくて。 大好きなタルの声が何度も何度も自分の名前を呼ぶのがたまらなくて。
2人はまるで、言葉をそれ以外に忘れてしまったかのようにお互いを呼び合った。
聞きたいことも聞かなくちゃならないことも山ほどあった。 触れたくはないけれど触れなくては乾かない傷がまだ少し痛んでいた。
それでも。 今。こんなにも想いが傍にあって。 何よりも大切な、ただ1つの想いが言葉も要せず伝わりあって。
たとえば願いが1つ叶うなら。 今だけでいいから時間を止めて欲しいとまるで夢みたいにタルは願った。 たとえば許されるなら。 今だけでいいから世界を止めて欲しいとまるで罪のようにフィナは祈った。
「ふぅ・・・まったく、人騒がせだな。」
そんな様子を、物陰から見守っている影が一つ。 目が覚めたらタルがいなくて、気になった。 彼の行く場所なんて一つしか思い浮かばない。
そして行ってみたら・・・・
人目も憚らず抱き合うフィナとタル。
ケネスは思わず顔を覆いたくなった。
「・・・・結局・・痴話喧嘩ってやつなのか・・?」
ケネスは重い重い、けれど、嬉しそうな溜息をついた。
ひとしきり抱き合って、暫く、2人とも無言のままで。 フィナは、ゆっくりと顔を上げた。
そう言えば、言ってなかったっけ?
「タル、おはよう」
目は相変わらず真っ赤で、酷い顔だったけど。 そう言ってにこりと笑ったフィナは、お日様みたいに綺麗だった。
「…はよ、フィナ」
タルはフィナの真っ赤な目の上に、優しく唇を落とした。 仲直りのしるし。
「…タル、ごめんなさい」
声のトーンを落としてもう一度謝ったフィナに、タルは首を横に振る。 再びフィナを抱きしめて、温もりを確かめた。
「何にも解んねぇけど。でも、解ったから。フィナ、もう謝らなくていい」 優しいタルの声に、フィナはもう枯れ果てそうな涙を最後に1つ、流した。
「やれやれ。いつまでやってるつもりなんだか」 ため息をついて、ケネスは微笑んだ。 いつのまにかポーラも隣に来て、フィナの足は大丈夫なんだろうかと首を傾げていた。
「フィナ、お前足は?」 「……!!」
怪我は、思い出すと痛くなるもので。 フィナは思わずうずくまった。
「治療室行くぞ」 タルはひょいとフィナを抱き上げると、スタスタと歩き出した。 「っ、ぁ」 「ちょっと、我慢しろよ?」 「…」 フィナは恥ずかしそうに顔を赤らめてコクリと頷くと、タルの首に恐る恐る腕をまわした。
治療室では、さんざん主治医に怒られた。 馬鹿者、とか、たわけ、とか。 タルにいたっては拳骨までくらっていた。
「ったく、こんなんじゃいつまでたっても全快祝いできねーぞ?」 「ごめん・・・・。」
となりをおぼつかない足取りでひょこひょこ歩くフィナ。 さすがにこの時間になると人通りが多すぎるので、自分で歩くとフィナが言ったのだ。 タルはそれにちょっと手を貸してやりながら、すぐ隣を歩いていた。
タルのちょっと呆れまじりの言葉に、フィナは申し訳なさそうに謝る。 でも彼はポンポンとフィナの頭を撫でて、
「ま、楽しみは後にとっとけっていうからなー」
そう、からからと笑う。
フィナもつられたように、笑みを零す。
今日もいつもと変わらない一日が始まる。 それはとても素晴らしい事なんだと、フィナは思った。
当然その日も、フィナは訓練に参加することは許されなかった。 ジュエルもスノウも、フィナに少し怒って、そうしてたくさん良かった、と伝えた。
夜の色が深まり始めた頃。
「大丈夫か?」
タルの問いかけに、コクリと頷く。 相変わらず整頓されたフィナの部屋で、2人は何をするでもなくただ時々話をした。 しばらく、穏やかで温かな空気が2人を包んでいたのだけれど。
ふと、フィナが不安そうに少し、悲しそうに口を開いた。 「タル…」 「んー?」 「…帰らなくて…いい、の?」
そろそろ戻らなくては、宿舎の入り口が閉ざされてしまう。 騎士団の訓練生であるタルたちにはまだ、鍵が渡されていないのだ。
「…タル…」
帰らないと。 そう言いながら、もう少し…あとほんの少しだけでいいから、一緒にいたいと願ってしまうフィナ。 そんなこと、口に出しては言えない、けれど…。
「…」 タルは、見上げてくる青い目を見おろして、くしゃりと笑った。 「もうちっとだけな?」 「!」 「まだ、フィナといたい」 「…僕も…」
タルと、一緒にいたいな…。 恥ずかしそうに首を傾げながら、フィナはそう呟いた。 フィナのその言葉に、嬉しそうにタルは笑うとくしゃくしゃとフィナの頭をなでた。
結局その日、タルが宿舎に戻ることはなかった。
ケネスは本から目を上げて、更けた夜を窓から見て時間に見当をつけるとやれやれと苦笑した。 予想していたことだから、フォローはちゃんとできる。
「早く良くなれよ、フィナ…」
遠い空が今日ばかりは、少し近く感じられてケネスは読みかけの本に目を戻した。
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「タールー!遅いよー!フィナもっ!」
「わりぃっ!」 「ご、ごめんっ・・!」
結局、昨日の夜は取り留めのない話を夜中までずっとしていて。 気付いたらフィナはベッドの上で、タルは机の上に突っ伏して眠っていた。
ドンドンと戸を叩く音に叩き起こされて、急いで訓練場までやってきたのだ。
「フィナは今日も見学ですね。」 「そうだな。あと五日くらいは無理だろう。」 「・・・・うぅ。」
そんなに?といった風に見上げてくるフィナにケネスは笑みを浮かべた。
良かった。 いつものフィナだ。
「ね、ね、快気祝いのパーティはいつやるの?」 「んー?そだな、来週ぐらいなら、フィナの足も完璧に治ってるだろ!」 「わ、楽しみ!」 「ジュエル、フィナの快気祝いですよ?」 「わかってるわかってる!」
にこにこ嬉しそうなジュエルと、苦笑するポーラとケネス。
一週間後、こっそりと夜に開かれる快気祝い。 フィナは、嬉しそうにくしゃりと顔を歪めた。
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